上の写真を見ると、工事現場になりますがなんと駿府城の天守台発掘現場です。
駿府城に久しぶりに行きましたが、現在天守跡の発掘が進んでおり、下の写真は天正
、慶長、安政各時代の瓦が展示されているブースのものです。
驚いたことにこの天守は今川時代の館の跡に造られており、江戸城の天守台の
1.5倍の広さがあったようです。最初は1610年。家康が大御所として若いころ
育った駿府にて大阪ににらみを利かせながら、江戸の将軍家にも大きな影響力
を発揮していた時代です。
その後、家康亡き後1635年に火事で焼失。再建後も1707年の宝暦地震、1854年の
安政地震にて崩れてしまった遺構です。
今回、発掘が進むにつれてこのような大天守があったことが判明しましたが
考えてみると天下人家康の隠居所となった城ですので当然と言えば当然ですね。
今後の発見が楽しみです。
それにしても壮大さには感嘆しました。
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